ACIM のUrtext ver.を少しだけ読んだ 1

午前中は毎月恒例のACIMの勉強会。

午後はおやつを食べながら、ACIMのURTEXT(原文と言われているけれど、原文でないのかな?不勉強ですみません)の最初の方を読んでいました。

>Plan ahead is good advice in this world, where you should
and must control & direct where you have accepted responsibility.
But the Universal Plan is in more appropriate hands. You will know
all you need to know. Make NO attempts to plan ahead in this re‐
spect.

・・・上手く訳せないのですが、どこでも同じようなことを言われるなぁと笑ってしまいました。

ここのところ、バイオダイナミクスの講座で聞く「事前に準備をしないでやる」
と一緒。

普段、うちら人間が責任をもって生活、仕事をしているこの世では、事前に計画をすることは大事だということになっているけれど、「Miracles(奇跡)」の点ではちょっと違う。あなたは知る必要があることは全部知っている。宇宙の計画にまかせる。

でも起こるであろう「奇跡」自体はそんなに大したことではない。奇跡は単なる「愛」の具現とか表象にすぎない。大事なのは「愛」。

ということ。

—————-

「どう生きたいか」
「どう生きるか」

ずーっと前から、自分の中のモヤモヤしているものとぴったり合うものを探していて、見つけたものがACIMだったりバイオダイナミクスだったりします。

それ以上でもそれ以下でもなく、、、。
今はそれがぴったりキテイル。
だからそれでいいじゃない・・という感じがします。

生きる目的→「愛」を表現する方法を学ぶこと。
役割→実践することで、「奇跡」が増えること、それが周りの幸せだったり、戦争がない世の中だったりに繋がっていくこと。

かなぁ。

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私のエゴ@ACIM勉強会(覚え)

日曜日。午前中は月1の『ACIM a course in miracles』の勉強会の日でした。

ここ1か月、勉強会のお仲間は、選挙終了後~大騒ぎになっている某国の大統領のお話や、あちこちで続くテロの話、マスコミで伝えられていないあれこれのこと、その他もろもろのことを、自分で調べていたそうです。

その話から、

「いやぁ『救済』ってなんだろうねぇ。待ってられないよね・・・」

という話になりました。

世界のあちこちに「生きるか死ぬか」の境目に居る人たちがたくさんいて、

そんな人たちに、

「『赦し』とか『救済』とか、言ってもねぇ・・・(無力)」

と・・・ざっくり、そんな感じのお話をしていました。

『沈黙(遠藤周作)』のテーマは、「なぜ神が人間の内面的不正について黙っているのか」なのだけれど、結局、それと似たような話になってしまいました。

★★★

この世界の中で、何かに気がついた人たちは、こちら側に進んでくるし、何にも気がつかない人もいる・・・・ように一見、見える。

「気がついた人と何にも気がつかない人とのギャップを埋めるにはどうしたらいいんだろう・・・救済ってギャップを埋めること?」

きっとそのヒントはACIMのどこかに書かれているはずなのだけれど・・・。

ということで、それを探すために本をもう1度読み直すのが来月までの宿題になりました。

★★★

昨日、今日、ch.31を読み直していたのだけれど・・・。

「これ、私のエゴになっちゃうんだよな~」

「ギャップ」がそもそも存在しないんだよな~。みんな同じ場所にいる。そして同じように進んでいる。

ただ、それだけのことなのよね。

救済はシンプル。謙虚であれ。静けさの中で。

その中で進む「赦し」「癒し」「救済」を待つしかないのかな、やっぱり・・・。

時が来れば、さくさくと進むこともあれば、ゆーっくり進むこともあるってことなのかなぁ?

「自分のエゴがない状態であれば、変化はスムーズに進むし、そうでないとき、変化は起こらない」
ということは日常生活の中でよく思うのだけれど。やはりそれを待つしかないのか?
もう少し読んでみよう。
★★★★★

午後はセッション。

ここしらばらくお忙しかったようなのだけれど、セッションを上手く気分転換に使っていただけたようで良かったです。

さてさて、、今週は解剖学の宿題をしなくては・・・。^^;

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神はいつでもどこにでもいる@ACIM勉強会(覚え)

今日の午前中は、1ヶ月に1回のACIM(a course in miracles)の勉強会でした。

テキストを読むのではなくて、

  • コースを実生活の中で実践して何が起こるか?
  • 起こったのか?
  • それが上手く機能しているか?
  • コースの内容を全く知らない人とも、共存?!できるか?

というような話をしています。

今日は(も)

「(職場だとか)コースの考えを全く知らない人の中で、それとは伝えないでこの考えを実践するのは少し難しいー😢💧」

(「神」はどう思ってるのかなぁ?)

(まぁ、そもそも、それを実生活で実践しろとか、考えを広めろとか、「神」から頼まれているわけではなく。。。自分たちが勝手にやっているだけー)

というような話をしていたのですが、
話の最中に、ふと英語のテキストを開くと、最初に出てきたのが

『chapter 29』

1『隔たりを閉じる』

1-1『神が不在の時間や場所や状態は存在しない』
1-3『神のものである全一性の中では、隔たりといったものは思い描くこともできない』
1-4『神の永遠なる愛においては、この上なくわずかで微小な隔たりに表象されるような妥協でさえ、まったく不可能である』
1-5『なぜなら、それは神の愛がほんのかすかにではあるが憎しみを抱き、神の優しさが時には攻撃に変じ、神の永遠の忍耐が時には衰えることがあるということを意味するからである』

1-6『兄弟と自分との間に隔たりを知覚するとき、あなたはこうしたことのすべてを信じているのである』

1-7『だとすれば、どうしてあなたに神を信頼することができるだろう』

V
V
V

29章最後まで、、、。

V
V
V

「うひゃー。(˵ ˃̶̀ε ˂̶́ ˵) やっぱり神様いつでも、どこにでもいるんだよね。見てるんだよね」

(スミマセン、スミマセン)

(悪いことはできないねー)

→ 爆笑。(๑˃̶͈̀o˂̶͈́๑)

ACIMは面白いです。

いや、ACIMというより「神」が面白のかも。

シンプルだし、そんなに難しいことは求められていない。

法律だとか、組織だとか、慣習だとか、理論だとか、思想だとか、複雑なものを作ってしまったのは、全部人間だと思います。

「神」がいるのではなくて、その全一性の中にあなたも私もいる。ただそれだけのこと。

そこには複雑なルールはない。

立体のダイヤモンドゲームみたいな感じ。

みんなが正四面体のどこかの頂点にいて、どこかが揺れるとみんなが揺れる。

オセロゲームみたいな、二元的な世界ではなく。

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奇跡講座の勉強のこと・・・読む前にしなければいけないこと

こんにちは。ストレスケアセラピストのなつこです。

新年早々、長いブログを書いてしまいました・・・。

この日記は奇跡講座の本を少し読んでみた人、レッスンに取り組んでいる人向きです。奇跡講座の本の内容には詳しく触れていません。

2015年末に奇跡講座の勉強会に参加することができました

主催している方は、前からボディワークのお師匠さんのジャック・ブラックバーンさんから「一緒に勉強会開いたら?」と言われていた方です。私にとっては先輩学習者の方で、この方が勉強会を開催されるのをとても心待ちにしていました。

最初の勉強会はお互いの勉強の進み具合やこれまでに起こったことの確認をしました。とてもいい時間・機会でした。

「待たないで自分で開けばいいじゃない?」

とおっしゃる方も多いと思います。確かにそうなのですが・・・。

翻訳が出版されたこともあり、『奇跡講座・A Course in Miracles』の名前をご存じの方、書籍を手に取られる方は格段に増えています。

ですが、あの分厚い奇跡講座のテキストをまともに読んでいる人は少ないですし、365レッスンをやり通した人もそんなに数は多くないはずです。

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