奇跡講座の勉強のこと・・・読む前にしなければいけないこと

こんにちは。ストレスケアセラピストのなつこです。

新年早々、長いブログを書いてしまいました・・・。

この日記は奇跡講座の本を少し読んでみた人、レッスンに取り組んでいる人向きです。奇跡講座の本の内容には詳しく触れていません。

2015年末に奇跡講座の勉強会に参加することができました

主催している方は、前からボディワークのお師匠さんのジャック・ブラックバーンさんから「一緒に勉強会開いたら?」と言われていた方です。私にとっては先輩学習者の方で、この方が勉強会を開催されるのをとても心待ちにしていました。

最初の勉強会はお互いの勉強の進み具合やこれまでに起こったことの確認をしました。とてもいい時間・機会でした。

「待たないで自分で開けばいいじゃない?」

とおっしゃる方も多いと思います。確かにそうなのですが・・・。

翻訳が出版されたこともあり、『奇跡講座・A Course in Miracles』の名前をご存じの方、書籍を手に取られる方は格段に増えています。

ですが、あの分厚い奇跡講座のテキストをまともに読んでいる人は少ないですし、365レッスンをやり通した人もそんなに数は多くないはずです。

となると、勉強会の主催者が一方的に集まった人に『教える』形式の勉強会になり、受け身のクラスになります。そもそも、こういった内容のことは『教える・教えられる』物でもないです。

またその主催をする人が奇跡講座に持っている『思い』『感情』が中心になって展開するクラスになってしまいます。

主催者が奇跡講座に持っている思いや感情が中心のクラスになってしまうと、他の参加者が意見を言う機会が減り、そこから新しく展開が始まることが難しくなります。

また、参加者の意見が違うことがお互いに認められないと、そこで勉強会もストップしてしまいます。

わざわざ勉強会を開いていろいろ問題が起こるなら、1人でこっそり勉強を続けている方がいいのかもしれないとも思ったのですが、1人で勉強を進めることの困難さもここ数年感じており、「同じくらいの進捗状況の仲間が必要だなぁ」というのが本音でした。

「奇跡講座」という本の性格上、仏教の『サンガ』やアドヴァイタの『サットサン』のような指導者がいる状態を作ることは難しいです。

そういう細かなことも理解した上で、学習者が集まる場を作ることは本当に難しく、学習者が意識して場を作り、ある程度節度を持ってコントロールしていく必要があります。

そして、『奇跡講座』をお金を取って教えてはいけない、商売にはしてはいけないという暗黙のルールがあります。学習は本当の意味で「自分のため」に行うもの。「将来、奇跡講座を誰かに教えてお金を稼ぐため」でも「オシャレだから」「格好良く見えるから」でもありません。

魂の成長とその進捗

1冊の本の内容の解釈がそれぞれ違う、「参加者の意見が違う」のは個々人の魂の成長の進捗が違うからです。
その人の進捗状況により、1文1文の受け取り方がずいぶん変わってきます。

もちろん、どんな人でも、この「『奇跡講座』を読んでみよう」と思ったのは、何か日常生活でひっかかりがあり、その解決策を奇跡講座に求めたからだと思います。

ですが、やみくもに奇跡講座を始めてしまうと、自分を責めてしまうばかりで、「何か変!!」な状態になってしまうことがあります。場合によっては『神や精霊は自分をいじめているのか?!』とも思えることがでてきます。

『奇跡講座』の『神』も『精霊』もその状態は求めていないです。

その状態にならないように、奇跡講座を実践しながら、もしくは実践する前にしないといけないことがあり、たぶん、奇跡講座にはその説明が欠けています。

もともと自己主張する人が多いアメリカで書かれた本ですし、日本人が直接使うには背景が少し違うのかなと思います。

自分より周りの人の状況を優先する人が奇跡講座を読む前にしないといけないこと

「自分の在り方をニュートラルに戻す」
「これまで『自分』だと思ってきたものをいったん横に置いてまっさらな状態にする」

・・・これを奇跡講座のテキストを読んだり、レッスンを始める前に絶対する必要があります。

これをしないで奇跡講座を始めると、特に、周りの人の状況を優先する傾向がある方はかなりつらい状態に陥ります。
他人が何を思っているか感じているか、「なーんとなくわかる・・なのでいろいろ気を遣う」共感力が強い人、「よく気が利く人だ」「いい人」と言われることが多い人たちです。

実際、奇跡講座にハマって継続している人はこういう方々が多いように思います。

こういう方は、自分に対してネガティブなものをぶつけてくる人に対しても常にただ受け身で対応してしまい、結局自分が潰れてしまうのです。

奇跡講座は自分を犠牲にして他人に尽くすことを求めているわけではありませんし、「誰かが犠牲になれば奇跡が起こる」「我慢しろ」と述べている本でもありません。

自分と他人との関係はもっとフラットで、どちらも唯一無二、大切なもの。何かをされて我慢をさせられている相手に対して、「自分はこう思っている」「自分はこうしたい」と話す権利は誰にでもあります。その話を聴いてもらえない相手や妥協点を見つけられない相手との関係を保つ意味はどこにあるのでしょう?

「自分自身を大切にする」「人を優先にする傾向にある人はそれをやめて、いい意味で『ジコチュー』に戻す」「ニュートラルになる」「プレゼンスになる」

最初にまずそんな感覚を深めていかないと、奇跡講座はただの拷問講座、サドマゾ講座になってしまいます。

神様は誰も特別視していません

神は誰も特別視していません。「犠牲になれ」とも言っていません。

ただの「創造主」。万物を作った人。誰かが多くお布施しようが、大発明をしようが、魔法を使えようが、創造主はそんなことは何も気にしていません。自分が「特別に思われて神様からきつく当たられている」などと思う人はたぶんそれは神様ではなくて、あなたの「自我(エゴ)」です。

あなたのエゴが、周りの人に自分を特別視してもらおうとしている・・・ただそれだけです。

このことを書くと長くなるので、また今度にします!

画像はゴヤの『トビアスと大天使ラファエル』

旅人には導いてくれる守護天使が必要なのだなぁと2015年末に改めて思ったので。

守護天使だったり、精霊だったり、お大師さまかもしれませんし・・・。
エゴがない生物、「植物」かもしれません。

導いてくれる存在が必要なときが、人間誰でも必ず来ます。

そして、たぶん自分が気がついていないだけで、そんな存在はいつでも傍にいます。

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投稿者:

backyard

メディカルハーブ、アロマセラピー、ボディワークをベースに、体を健やかに保つ方法を考えています。

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