今日の午前中は、1ヶ月に1回のACIM(a course in miracles)の勉強会でした。
テキストを読むのではなくて、
- コースを実生活の中で実践して何が起こるか?
- 起こったのか?
- それが上手く機能しているか?
- コースの内容を全く知らない人とも、共存?!できるか?
というような話をしています。
今日は(も)
「(職場だとか)コースの考えを全く知らない人の中で、それとは伝えないでこの考えを実践するのは少し難しいー😢💧」
(「神」はどう思ってるのかなぁ?)
(まぁ、そもそも、それを実生活で実践しろとか、考えを広めろとか、「神」から頼まれているわけではなく。。。自分たちが勝手にやっているだけー)
というような話をしていたのですが、
話の最中に、ふと英語のテキストを開くと、最初に出てきたのが
『chapter 29』
1『隔たりを閉じる』
1-1『神が不在の時間や場所や状態は存在しない』
1-3『神のものである全一性の中では、隔たりといったものは思い描くこともできない』
1-4『神の永遠なる愛においては、この上なくわずかで微小な隔たりに表象されるような妥協でさえ、まったく不可能である』
1-5『なぜなら、それは神の愛がほんのかすかにではあるが憎しみを抱き、神の優しさが時には攻撃に変じ、神の永遠の忍耐が時には衰えることがあるということを意味するからである』
1-6『兄弟と自分との間に隔たりを知覚するとき、あなたはこうしたことのすべてを信じているのである』
1-7『だとすれば、どうしてあなたに神を信頼することができるだろう』
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29章最後まで、、、。
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V
「うひゃー。(˵ ˃̶̀ε ˂̶́ ˵) やっぱり神様いつでも、どこにでもいるんだよね。見てるんだよね」
(スミマセン、スミマセン)
(悪いことはできないねー)
→ 爆笑。(๑˃̶͈̀o˂̶͈́๑)
ACIMは面白いです。
いや、ACIMというより「神」が面白のかも。
シンプルだし、そんなに難しいことは求められていない。
法律だとか、組織だとか、慣習だとか、理論だとか、思想だとか、複雑なものを作ってしまったのは、全部人間だと思います。
「神」がいるのではなくて、その全一性の中にあなたも私もいる。ただそれだけのこと。
そこには複雑なルールはない。
立体のダイヤモンドゲームみたいな感じ。
みんなが正四面体のどこかの頂点にいて、どこかが揺れるとみんなが揺れる。
オセロゲームみたいな、二元的な世界ではなく。