立て続けだけれど、いい体験だったので記憶が新しいうちに書いておきます。
日曜日はバイオダイナミクスの勉強会でした。
毎回、主催してくださる先輩先生方に感謝です。
解剖学講座で学んでいることに関連付けてその日のテーマを選んでくださるので、助かります。
今回のテーマの1つは「腸管膜の動きを見る」ということでした。
解剖学講座のミニ実習と違うのは、施術を始める時点の術者の視点。
講座内では体と同時並行で「美しいもの」を見て行こう・・ということだったのですが、勉強会では「腸管膜」を見る。
でも、腸管膜の動きを見ているうちに「?」ということがあり、そういうときは肉体だけでなくて、もう少し違うところを(結局、やっぱり)観る必要がある・・・全体を見る必要があるというところに行きつきました。
(じゃぁやっぱり最初から全体を見ていていいってことなのだろうか・・・)
比較的日数が開かないで、2つの違う視点から施術をして、その違いを体験できたのが良かったです。
☆
その日は面白いことがありました。
他人との線引きの話。
私は子供のころ
「人は人、自分は自分」
と頻繁に母に言われて育ちました。
それでなのか、無意識にも意識的にも、自分と他人との線引きは常にしているのだなぁ・・。
だから、あまり他の人の影響は受けない。受けているときも、「受けている」とわかっている状態で行動するし、「受けている」ことが自分にとってプラスになるかマイナスになるか精査はしています。
もう1つ。
吹奏楽部にいたとき、
「(学校から借りているものであっても)自分の使っている楽器は他の人に触らせるな」
と先生が話されていたのをよく覚えています。
そのこともあってか、大人になっても、他人の物はあまりむやみに触らないようにしています(当たり前か?!)。
モノはそれを所有している人の延長線、影響下にあるもの。
断りなく他人の所有しているものに触れると、それは、その人の中に侵襲することなんじゃないかなぁとすら思っています。
「誰かの影響を受ける」
これは、影響を与える側の問題というより、影響を受ける方が上手く線引きできていないことが問題なんだろうなぁと・・。
なんとなく思ってしまいました。
「ハートとハートをつなげる」ということと、「他人と線引きしない」ということは、また別のレイヤーの話かなぁ。
「侵襲することになる」だからこそ、「ハートをつなげる」作業をする必要があるのだろうし、「線引き」があるからこそ、「ハートをつなげる」作業が必要なんだろうなぁ。
日本人は「線引き」が曖昧なことが多いもんなぁ。