お子様がいらっしゃる方は、『夏休み』まっただ中だと思います。
いかがお過ごしでしょうか。
ここのところ、会社員としての休日、土日も勉強会やWSに参加することが多く、休みっぽい感じが全然していませんでした。
(基本的に好きなことをしているので、つらいというわけではないのですが・・・)
「どこかいきたいなー♪(独り言)」
と言ったところ、答えが1つだけどこからともなく返ってきました。
で、本当に久しぶりに江ノ電に乗って・・・、
坐禅会に行きました
(自然療法とあまり関係ないじゃない・・と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、西洋の『ボディワーク』と禅は昔から関係があるそうです)
カメラは持っていったのですが、当然ですが使う時間はなく、この日の画像はほんの数枚。
午後半日ずっと瞑想でした。
立禅、歩く瞑想、身体の感覚を感じる瞑想から入れるのは、ほんとに良かったです。
私はいきなり座って、イメージの誘導瞑想・・というのが、全然できないのです。
指導してくださる方に、これまで疑問に思っていたことの確認をしたり、その他悩みの相談をしたり。
お知り合いになった方と帰りの電車の中で、瞑想や坐禅のことをいろいろおしゃべりできたこと、なぜか大好きなオーロラシューズの話ができたのもうれしかったです。
好きなことの話を気兼ねなくできるのはいいですし(当たり前か!)、それぞれの方のバックグラウンドはいろいろですが、同じような方向性のことを勉強している人がいる・・ということ自体が励みになります。
自分の内面は自分独りで探求すること
ACIM (A Course In Miracles/奇跡講座)も坐禅も、基本的には自分の内面を自分独りで探求するものです。
「勉強会なんてできるものなの?自分独りでするものなのに・・・」
と、ACIMつながりの知人と話をしたことがあります。
内面の探求については、個々が今おかれている状況などの違いがかなりあるので、「複数の人が集まって、同じことを同じように勉強する」という「勉強会」は、成立し難いんじゃないかと思っています。
ですが、心のことは独りでずっと続けていると、なんだか変な方向に行ってしまうことがあります。「方向性を確認する場は必要だなぁ」といつも思っていたので、今回はいい機会になりました。
慈悲の瞑想の言葉
そして、
「慈悲の瞑想の言葉を、偽善だと感じず、心から何の疑問も持たず言えるようになっていること」
がマイルストーンのよう。
そこまで意識を上げて、切り替えをする段階が必要であること、そこを通過しないで、瞑想することで何かを求めても時間の無駄。
結跏趺坐で形は決めて瞑想。そして終了後、
「(その場では)気持ちよかった!!瞑想っていいね!」と騒ぐのに、
「普段の生活に戻ったらまたワサワサ」
している人がとても多いように思うのです。
(そしてそんな人を「本当にこの人わかってるのかなぁ?」と感じてしまう、狭量な私がいます・・)
一番大事なことは、その状態で日常を過ごせるかどうかだと思うのですが。
マイルストーンを通り過ぎること
ACIMのworkbookのlessonをなんとかの一つ覚えのように毎日続けることや、アファメーションを唱えるのともつながります。
上にも書きましたが、同じようなことをしている人たちがいると、励みになりますし、こういう人がたくさん増えると、もう少しギスギスしない世の中になるのではないかと思います。
全く違和感なく参加できてよかった。
今読んでいる本
必殺3冊同時平行読みです。
全然「プレゼンスPresence『いまここ』」 にいません。
『Reclaiming vitality and presence Sensory Awareness as a Practice For Life』
Charlotte Selver の教えの本。
ボディワークのグランドマザー、Elsa Gindlerのお弟子さんの教えの本
感じることの大切さ。
▼読み直し。
▼なぜかこれも読み直しています。
空海が秘密にしたというのはよくわかるなぁ。
(これに限らず大事なことは全部口伝なのではと思うけど・・・)
「マイルストーン」を超えないと曲解する人ばかりになるって思ったのだろうなと改めて思います。
(予約投稿です)