『体の知性を取り戻す 』
著者は子供のころの「小さい前ならえ」や武術を通して、
「窮屈な姿勢」「基本が大切」
「正しい」と世間で言われることに押し込められる違和感を感じる。
観念と実体のズレ。
キックボクシングをしていたとき、体勢が崩れながら打ったゆるいパンチなのにも関わらず、相手がダウンしてしまったことから、そのときにおこったことやその再現性、体の知性や心との関係あれこれを、韓氏意拳を学びながら深めていく。
私の周りには、心と体のことやそのつながりについて探求している人たちが結構いるのだが、探求の場を離れて、ごく普段の生活に戻るとまだまだ少数派。あまりいない。
そしてやっかいなことに、自分の「心と身体」に目が向き始めると、
「私はこんなことを、こんなにがんばってやってるのよ!」
と周囲にアピールする欲求が少なくなる。
純粋にそれを追及する「フロー」に入っている状態・・というのだろうか。
(狭量な私は、「それを『アピール』している人は、実はその探求は『なんちゃって』じゃないの?と思ってしまうし、その人はほぼ確実に、本当に大切なところは外していると思う)
スポーツ全般、武道、ボディワーク、瞑想その他、心と身体へのアプローチ方法はいろいろあるが、長く続けていると、おそらくどんな方法を取られている人でも、話すのが億劫な時期、瞬間はあるのではないかと思う。
自分が普段関心を持っていることを、全然その分野に関心がない人にクドクド説明するのがとても億劫になり、結果、周りの人たちに
「なんか怪しげなことやってるな・・・」
「カルトじゃないの?」
なんて思われてしまうのではないかと少し心配もする。
自分で説明するのが億劫なときに、この本を手渡して読んでもらえると、私が関心を持っていることが少しでもわかってもらえそうな気がする。
「なぜ、どうしてこの人たちはこんなことを追及しているの?」という素朴な疑問への答えになりそうです。周りの人みんなに読んでもらいたい1冊。
「外の世界」に漠然とした違和感、不安感を持っている人、心と身体の乖離を感じている人には一度読んでいただきたい。何か「ピン」と来るものが見つかるのではないかと思う。
世界との乖離感や身体と心の乖離感を薄めていくには、
■身体から心を見ること。
■考えていること、思っていることと実際に体を動かして行っていることの差を埋めること。
一番いい方法ですし、この方法しかないと思う。
最近なぜか現代新書を読んでいるなぁ。特に現代新書が好きというわけでもないのだけれど。