2月の解剖学のミニ実習は胸郭呼吸&肝臓の動きを見るというものでした。
呼吸の動きだけでなく、体の中のいろいろなものが、それぞれ固有の動きを持っていて、身体からはいろいろな動きが出てくるのだけれど、その奥にある、何か静かな呼吸も一緒に見る。
体の動きの奥にある、その人のきれいなものを見る。
その方の全体性を見るうちに、肉体の動きも整ってくる。
ということをしました。
☆☆☆
「記憶を使わない」
「同じ風景でも、いつも(必ずしも)『美しい』と感じないことがある。そういう記憶は無くす」
その時、その瞬間で「美しい」ものとシンクロする。
という先生の言葉が印象的でした。
詳細は省きますが、幸い、相モデルになってくれたクラスメートの
「美しい☆」
ものを見せていただき、その静けさとその人の肉体の動きを同調させていく・・
(というより、同調するのを待つ感じ)
を体験できました。いい体験でした。
☆☆☆
その人の持つ、奥まったところにある、きれいなものを見つける。
(というか、待っていて見せていただく・・・という感じかも)
これが私が『Backyard』でやりたいこと。
バイオダイナミクスオステオパシーの講座を受講することにしたのも、もう少しこれを深めたい・・広く取り組みたいという理由もありました。
☆☆☆
このサイトのタイトルにもなっている『Backyard (裏庭)』
これは、梨木香歩さんの小説『裏庭』から拝借したものです。
裏庭(言葉にはされていないけれど、「魂の世界」「集合的無意識」なのだろうな)は美しく、でも、そこに入れるのは素直な心を持っている人だけ。
裏庭の庭師は代々体の弱い人。その人が裏庭の奇想天外なストーリーを作っていく。
生き生きとした「無意識」の裏庭→「意識」の世界の充実に繋がる。
これは「庭師」個人だけでなくて、その人の周囲や、世界全体ひっくるめての安心感だったり、平和だったり、「素直に生きる」ことだったりに、集合的無意識からアプローチしていくということ。
取り組む世界が広ければ広いほど、庭師のエネルギーは裏庭で費やされる。
そのうちその人は裏庭にずっと入りびたりになり、現実に戻ってこなくなる。そして永遠に戻ってこなくなる→死。
でも、「裏庭」は新たな庭師を必要としていた。今度は裏庭で死なないで、きちんと現実世界に戻ることができる、裏庭と現実を結ぶ素直な元気な子。
そんな感じの話です。
☆☆☆
その人の奥まったところ「裏庭」にある、きれいなものを見せていただく。
「庭師」だけでなく、どんな人でも「裏庭」を見てみないといけないことがあると思っています。たくさんの人が裏庭に入れば、その分、裏庭が活性化して、「意識」の世界も充実する。
でも「裏庭」に入る前には、素直になる必要がある。
誰でも美しいものを持っていて、それを見つける、見守る。
それが「肉体」「現実」の自分との調整もする。
そんなお手伝いがしたいです。
(肩こりも腰の違和感も調整もなんだけれど・・・)
☆
今読んでいる本。
カール・ケーニヒの『発生学と世界の発生』
研究とそれに付随するものすごいイマジネーションに、読んでいて圧倒されます。
面白いです。