日曜日。午前中は月1の『ACIM a course in miracles』の勉強会の日でした。
ここ1か月、勉強会のお仲間は、選挙終了後~大騒ぎになっている某国の大統領のお話や、あちこちで続くテロの話、マスコミで伝えられていないあれこれのこと、その他もろもろのことを、自分で調べていたそうです。
その話から、
「いやぁ『救済』ってなんだろうねぇ。待ってられないよね・・・」
という話になりました。
世界のあちこちに「生きるか死ぬか」の境目に居る人たちがたくさんいて、
そんな人たちに、
「『赦し』とか『救済』とか、言ってもねぇ・・・(無力)」
と・・・ざっくり、そんな感じのお話をしていました。
『沈黙(遠藤周作)』のテーマは、「なぜ神が人間の内面的不正について黙っているのか」なのだけれど、結局、それと似たような話になってしまいました。
★★★
この世界の中で、何かに気がついた人たちは、こちら側に進んでくるし、何にも気がつかない人もいる・・・・ように一見、見える。
「気がついた人と何にも気がつかない人とのギャップを埋めるにはどうしたらいいんだろう・・・救済ってギャップを埋めること?」
きっとそのヒントはACIMのどこかに書かれているはずなのだけれど・・・。
ということで、それを探すために本をもう1度読み直すのが来月までの宿題になりました。
★★★
昨日、今日、ch.31を読み直していたのだけれど・・・。
「これ、私のエゴになっちゃうんだよな~」
「ギャップ」がそもそも存在しないんだよな~。みんな同じ場所にいる。そして同じように進んでいる。
ただ、それだけのことなのよね。
救済はシンプル。謙虚であれ。静けさの中で。
その中で進む「赦し」「癒し」「救済」を待つしかないのかな、やっぱり・・・。
時が来れば、さくさくと進むこともあれば、ゆーっくり進むこともあるってことなのかなぁ?
「自分のエゴがない状態であれば、変化はスムーズに進むし、そうでないとき、変化は起こらない」
ということは日常生活の中でよく思うのだけれど。やはりそれを待つしかないのか?
もう少し読んでみよう。
★★★★★
午後はセッション。
ここしらばらくお忙しかったようなのだけれど、セッションを上手く気分転換に使っていただけたようで良かったです。
さてさて、、今週は解剖学の宿題をしなくては・・・。^^;