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「わたくしといふ現象」・・・・宮沢賢治と瞑想とかプレゼンスとか

『春と修羅』の序文のこと

私は薄暗い部屋で瞑想をするときやボディワークの施術を受ける時、「青紫の淡い光」を頭の中に見ることがあります。
(光の色は白いときもあり青白いときもあり・・・。こういう方は結構多いのではないかなと思います)

そのときは頭には光以外に何も浮かんではこないのですが、終わった後にはたいてい、宮沢賢治の『春と修羅』の序文が思い浮かびます。

宮沢賢治も「プレゼンス」に長い時間居ることができた人ではないかと思っています。

宮沢賢治→ (wikipediaに飛びます)

 

Miyazawa_Kenji

宮沢賢治は仏教に傾倒しその関係の修行も行い、神秘体験をしたこともあります。菜食主義であったこと、妹の死により心が混乱し心の病気を患っていた時期もあるとのこと。

宮沢賢治が書く文章について

「普通の人が目に見えないものも見えていたのではないか」
「書かれているものは、想像の産物ではなく、彼の目には見えていたものだ」

と考える人、研究をされている方々がたくさんいます。

私もここ20年ほどずっとそう思っていたのですが、自分で「そうだな」と確信できたのがここ数年くらいの間です。

今よりも理解が少ない時代に、「心象スケッチ」として精神世界のことについて書き残した彼の志や、言葉で表現できた文才を、改めて「すごいな・・・」と思います。

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 (写真は複製。学生時代に古書店で格安で手に入れたもの。装丁がとてもこっている。表紙は布でタンポポ柄です。賢治のこだわりを感じます)

『春と修羅』の「序」は、心象世界の奥深く、そして自分の世界が周りの人、世界と繋がっているということ、もっと大きな世界の中にいることが書かれています。

「あ~これはもうそのまま、スピリチュアルな世界だ」

という感じです。

仏教思想の影響を受けているのは明らかですし、瞑想中や1人で静かに過ごしているとき、野山で採集活動をしていたときなどに持ったフェルトセンスや、そのときそのときのことをプレゼンスの状態で見て、繊細に感じとったことのように思います。

自分は「わたくし」ではなくて、「わたくしという現象」と表現しています。「わたくしという現象」が地上に起こっているだけ。ただそれだけ。

「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
「因果交流電燈のひとつの青い照明」

自分が青い光となる、そんな時間を賢治も持ったのだなぁと思います。

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「序」は読んでいるといつもなんだか涙が出てきます。悲しい涙ではなくて、ほっとする涙。何か大きなものの中に戻っていく心地よさです。

『春と修羅』は青空文庫にも収録されているので、長めに引用させていただいてもいいかな・・・と思いました。 差しさわりがありましたら削除します。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日

 

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メディカルハーブ、アロマセラピー、ボディワークをベースに、体を健やかに保つ方法を考えています。

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