「プレゼンス」にいることがなぜ良いか
というと、確実に自分のカラダが静かになっていくからです。自律神経系が安定します。この体の変化は、たぶん自分が一番よくわかるようになると思います。
それにつれて、なぜか心、感情のことも落ち着いてきます。売り言葉に買い言葉のような反応が減ります。周りの人もその変化に気がつかれるかもしれません。
プレゼンスに居ると、体液の流れや自律神経系が落ち着いている状態になりますが、その落ち着いた感じを自分で覚えておくと、何かトラブルが起こったときにも自分でその状態に戻ることができるようになります。
周りに振り回されない、ブレない自分・・・はそんなところから始まります。
「振り回されないようにその場から絶対動かない、ぶれないようにその場から絶対動かない」
というより、
「何か自分を刺激することがあり、それに反応して多少は動くのだけれど、元の状態にきちんと戻れるかどうかということ」
かなと思います。やじろべえみたいな感じです。
プレゼンスにいると、自分が「台風の目」の中にいるように感じるくらい、静かな感じになります。
ですが、一度何か大きなトラブルが起きると、なかなかプレゼンスに戻ることができなくなる方もいらっしゃいます。私はそんなときにボディワークでお手伝いできたらいいなと思っています。
ボティワークはその瞬間のカラダの動き、感覚に意識を向けていなくてはできないことなので、体と一緒に「今ここ」に居る状態になりやすくなります。
プレゼンスに居る練習 その1
普段、無意識にしている動作に少しずつ気を配ること、自分の骨、関節がどんな動きをしているのか感じるのはプレゼンスに入る練習になります。ただ坐って、呼吸をするときに、体がどんな動きをしているのか感じるのも練習になります。
立っている状態から正座になるとき、膝をどう使っているか?
かがむとき腰から上、上半身をどの程度傾けているか?
お料理するのに台所に立っているとき、体の重さは足のどの部分にかかっているか?
息を吸ってはいたとき、胸はどんな感じで動いているか?肋骨はどんな動きをしているか?
などなど・・・。
動作に意識を向けてそのまま自分のカラダで起こっていることを言語化せずただ感じてみる→「今ここ」にいることです。
やっているうちに「スルン」と頭の中が静かになる瞬間を持つときがあります。その時の状態も覚えておいてください。
頭の中で、「傾きは45度くらい・・」とか「左と右の重さが3:2くらいでかかっているかな~」ということまで考え出すと、それは頭を使い過ぎ。あくまでも「感じる」感じです。
・・・・動的瞑想ともいえるかも・・・。
10数年前、私は太極拳を習っていたときに、この感じを覚えたのと、山登りのときもそうかもしれません・・・。
プレゼンスに居る練習 その2
香りを嗅いでみるのもプレゼンスにいることにつながります。香りのある植物やアロマセラピーの良いところは、「プレゼンスになる」とわざわざ意識しなくても、プレゼンスの状態に居る状態にしてくれるところです。
香りを嗅ぐとき→その瞬間はほとんどの人は、嗅ぐこと意外に意識がいかず「プレゼンス」になります。
その一瞬の感覚を覚えておいて、長く引き伸ばす感じです。
プレゼンスに居る練習 その3
女性だと感じてらっしゃる方も多いと思うのですが、編み物ですとか、縫物ですとか、ビーズ遊びですとか・・・手芸をすること、キャベツの千切りとか・・・お料理、庭の雑草取りだとかも。
一心不乱に単純な作業をずっと繰り返しているうちに、頭のなかが真っ白で何も考えない時間ができます。そして、それが深まると周りの空気や時間が止まったようにも感じる。それが「プレゼンス」のとっかかりな感じです。
その状態を覚えておいて、「プレゼンスに居たい」と思ったときには、頭のなかにその状態を再現してみてください。
プレゼンスが深まると・・・
特に悩み事のない、普段からすっきりした状態だと、割とラクにプレゼンスに居られるのですが、考え事が多いとちょっと難しいこともあります。
黙ってただ坐る「頭の中からすべてを消す」瞑想の時間と同じくらい大切です。
練習をどんどん繰り返しているうちに、静かな状態に長く居られるようになってきますし、何人かで同じような状態に居ると、静かな状態がより深まっていきます。
何か大きな存在がそばに居るように感じることもあります。
・・・・こういう感じを本当の意味で「臨在(The Presence)」と言っているのかなぁと思います。
これを初めて感じたのは、ジャックさんにレイキマスターのアチューンメントを受けたとき。ジャックさんとジャックさんの通訳の楠さんが一緒にアチューンメントをしてくださったのですが、そのときは「あ、何かが来た」というような感じがして暖かくなりました。そのことをお二人に伝えたところ、その時にジャックさんも「来てたね」とおっしゃったのをよく覚えています。→ジャックさんは忘れているだろうなぁ・・・。
ジャックさんと楠さんのプレゼンスに居る力がとても強くて、二人に助けてもらって私も深いところまで行けたように思っています。瞑想をするときは、瞑想の先輩が何人かいるところで、一緒に引っ張っていってもらえる環境があるといいなぁと思ったのは、このときからです。
感覚の深まりを自分でも感じ取ることができるようになったら、1人でもその状態になることができるようになります。
使われる人によって「プレゼンス」という言葉の定義がまちまちだそうなのですが、フォーカシングでは「プレゼンス」の状態になるとフォーカシングのセッションが上手くいっている・・と受け取る方が多いようです。
(いろいろごちゃまぜに書いてしまいますが・・・)「プレゼンス」という言葉は聖書の言葉で「臨在」と訳されます。フォーカシングでこの言葉が使われる・・その由来もここから来ていると思いますし、ノンデュアリティでもアドヴァイタでも、瞑想をしていて前述の状態になるときはこの言葉を使っているよう・・(調べが足らない場合は申し訳ありません・・)。
「過去にも未来にも意識が行かない。カラダとともに今ここに居る」
別に高額なワークショップに行って体験する必要はなく、普段の自分のちょっとした心がけです。
エキセントリックな「スピリチュアル」でもないし、ごく普通の日常でごく普通に繰り返されるものです。
プレゼンス自体はそんなに特別なものではないのです。ただ、集まる場所や集まっている人でプレゼンスの深まりは少しずつ変わってきます。どのくらいの深まりがその人に合って、気分よく過ごせるかは、その人によって違うかもしれません。
自分1人では少し難しいという場合は、お寺で行われている坐禅会や瞑想会に参加されるのも良いかと思います。
場所にもよりけりですが、勉強が進んでいる先輩の数が多い場所だと自分の瞑想やプレゼンスもそれにつられてかなり深まります。「深まる」感覚も分かるようになります。
お寺では海千山千の慣れた先輩がゴロゴロいらっしゃるので、、、、。お寺に一度行かれることをみなさんにお勧めしています。
以前、坐禅会に参加させていただいたときに、
「これまで高いお金を払ってあちこちの瞑想セミナーに行ったけど何もわからなかったなー。お寺に来て『ここでやっと(空やプレゼンスが・・)わかった~』と思った。高いお金を払う必要なかったんだよね~」
とおっしゃる方が何人もいらっしゃいました。
お寺の坐禅会や瞑想会はお布施(任意)を納めるか、500円~1000円くらいの金額を参加費用としてお支払するようなところが多く、さほどお財布事情が苦しい人にも負担になりません。
無料のところでは、お賽銭を少し多めに納めたり、お線香代や蝋燭代を払って帰ってきたり。それでも1000円かかるかかからないかくらいです。
セミナーの学びがあったからお寺で気がつかれたのかもしれないですが、特に高いお金を払って習いに行かなくても、気がつくときには気がつくことです。
セミナーに参加することを迷われている方は、何かのヒントになるようでしたら幸いです。
こういうことは、最終的には、お寺ですとか教会ですとか、昔からこういうことをやってらっしゃるところにお任せする方が良いように思っています!