口伝とか技術継承とか

6月21日~24日に、3泊4日のトレーニングがありました。

去年から参加させていただいているこのトレーニングですが、「トレーニング」というよりも、「口伝による技術継承」という色彩がとても強いです。

もちろんその分野で、「伝承者が少なく必要に迫られた技術継承」というよりは、その技術を「学びたい!」と集まったたくさんの生徒たちに、先生が学ぶ機会を与えてくれている感じのものなので、この技術が無くなるということは、決してないと思いますが・・・。

テキストも用意してくださっているけれど、大切なことは全て、先生からの言葉やその場で体験したこと、感じたことで伝わってきます。テキストは先生の言葉や体験の補完であって、それを読んで全てがわかるわけではありません。

もちろん、トレーニングに出席しているからといって、それがきちんと理解できているかも、(実のところ)わかりません。

解った!とはとても思えないし、そう思うとそこで成長が止まってしまいます。

この技術のとても難しいポイントは、

「謙虚」「静けさ」「愛」などの、一見形而上的な事柄が「技術要件」に含まれるということ。しかも「必須」。

言葉だけ聞くと、「え~まじ~」「なんか怪しい~」と思われる方もたくさんいらっしゃるかもしれないですが、怪しいことはなにもなく、人間の体の自己調整能力を高めるための一助となる施術です。

「謙虚」「(奥深い)静けさ」「愛」1つでも欠けると、別の技術になってしまい、体験していることが、師匠が言っていることから外れてきて、師匠の言葉の解釈を間違ってしまいます。

そして一番の問題点は、上述した言葉「謙虚」「静けさ」「愛」はとても耳に心地が良いこと。

センシティブな人、感情が優る人につけこむのに持ってこいの言葉。

とても怖い言葉でもあります。

「テキストや書かれている用語だけが、断片的に独り歩きしていくことを、大師匠も師匠もとても危惧されているご様子なのは、それじゃないかしら・・」

と、推測します。

トレーニングの終了まで9年かかります。

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この9年間には、「謙虚」「静けさ」「愛」が施術をしている時間だけの付け焼刃ではなく、自分の中に定着させて、一生を通して貫徹するものとするための時間や、その言葉に責任を持って行動することの「お試し」の時間の意味も込められているのではないかしら・・とさらに推測。

同じようなところをぐるぐる回って、でも、少しずつ上に上がってくる感じ。

なんだか「ネジバナ」みたいです。

弘法大師が伝教大師に理趣経を貸さなかったというお話も、これと照らすとなんとなく理解できるような気がします。文字を読むだけではわからないことがたくさんあるのよね。

「口伝」だとか「技術の継承」だとかの世界には、私はこれまで全くかかわったことがなく、初めての体験。なので余計に新鮮に感じます。

4月29日30日 解剖学講座に参加

佳境を迎えた(?!)、毎月恒例の解剖学講座に行ってきました。

今回は泌尿器系です。

予習のときに、解剖生理学の本で、細胞や体液のチャプターをざざっと読んで、

「あ~私、知らないことばっかり・・・(😢)」

と改めて感じ、すでに「いっぱいいっぱいモード」に突入していました・・。

なので、教室に入って先生の話をうかがっても、内容が頭の外を上滑りしていく感じ。

予習のとき「泌尿器」のところだけ読めばよかったな~・・と反省。

今は、細胞生物学や体液や代謝の部分だけ、半年くらいかけて丁寧に勉強したい感じがしていますが、それだけに半年かけるほど、時間に余裕は無いような気もします。

「イッパイイッパイ」モードだったので、前回から実習の時間が長くなったのはとても助かりました(😢)。

腎臓や骨盤底筋群の触察&ワーク、両方面白かったです。

骨盤底と膀胱へのワークのおかげで、ちょっと調子が悪かった私の骨盤底筋群もすっきりした感じがしています。

☆☆

そうそう・・。『腎臓』は星占いでは「7ハウス」マターです。

直で相対峙する人間関係(7ハウスマター)でトラブルがあるとき、「腎臓に負荷がかかるのかなぁ?」と以前から、急性腎炎になる周囲の人などの様子を見ていて思っていたので、「腎臓」も7ハウスのことだと聞いたときは、妙に納得。

私も今、ちょっと大変なときなので、腎臓へのワークは助かりました。講座の後、深夜、寝ているときもまだ背中が温かく・・・。知らない間に腎臓に負担をかけていたのかなぁ?

相モデルになってくれたCちゃん、ありがとうです。

3月25、26日/ 解剖学講座@大阪

3月25日、26日は解剖学講座で大阪へ。

テーマは呼吸器でした。「代謝」の源、酸素を体に取り込むための大切な場所。
(私観ですが大きなサブテーマは2つで)
【1】肺の動きの元になっている横隔膜~脚~大腰筋へのつながりを見ていくこと

【2】肺の音を聴いてみる

ということでした。

【1】
体の勉強を始めてから、「横隔膜」やそこから大腰筋へかけての繋がりが大切な場所だということを知り、あちこちで何度も勉強をしていたのはずなのですが、今回の講座の受講後、改めて私の中でクローズアップされてきました。

(内容についてはここに書くには量が多すぎるので省略)

普段の生活の中で、最近あまり気にしていなかったしな~。反省。

【2】
聴診器で肺と心臓の音を聴きました。これは人生初めてのできごと。

ふいごの音のような、気管支を通り抜ける空気の音は、解剖図で見ていた気管支の使用用途(と言ってよいのか?)が、音でも改めてイメージできました。

背中側からも肺と心臓の音を聴きました。ふいごのような肺の音のさらに向こう側から、何か分厚いものにくるまれたようにくぐもった感じの、心臓の小さな音が聴こえてきます。

体の前、胸骨の辺りだと心臓の音はもっとはっきり、大きく聞こえます。

体の前と後ろの「厚み」「円筒形っぽいものに肺も心臓も入っている」「心臓は肺に覆われている感じ?!」・・・3Dのイメージが、音を聴いているだけで、頭にふわわと浮かんできて、これも面白い体験でした。

ご病気の方の肺胞の音も聴きました。これまで聴いた音とは違う「異音」が混ざります。何もトラブルがない肺胞は音はほとんどなく静か。

バイオダイナミクスだなぁ。
「音」は生物が生きている証明なんだろうな。

帰宅後、幽門、噴門、オッディ括約筋、回盲弁の辺りに聴診器をあてたところ、

「ぐしょっ、ぐしょっ」というものすごい音が聴こえてきました。

カラダ、がんばってるな~。しばらく聴診器で遊べそうです。
(施術時には使いません)

たまたま、大阪に行く前日にジョン・ケージの「小鳥のために」という本を購入していました。

ジョン・ケージは『4’33″』という、音をならさない曲を作曲した人。

 

空気が震えることで音が伝わってくるわけで・・・。その空気の微細な震えをきちんととらえられるように。空気よりも細かなものもとらえられるように。

・・と思いました。

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施術の実習は、いつもながら、「場」のおかげで上手くできました・・という感じでした。

1日目は「知らない質感を体験する」「待つ」「タイドの指示にまかせてみる」

2日目は「聴く」ことでした。

2日ともまたまたいい体験ができて感動。

詳細はナイショです。

地元の駅を朝の5時の始発で出発、久しぶりに新幹線に乗り、計画通りに、朝の9時50分に大阪市内の会場に到着している・・・「離れ業(?!)」でした。

新大阪の駅に到着した後、会場近くまではほぼ、迷わず着いたのですが、会場となっているビルの眼の前で、

「入口どこだ?」

となってしまい、うろうろしていたら、つくばのお隣、牛久市のM先輩先生が「こっちこっちですよ~」と声をかけてくださり助かりました。感謝です。

バイオダイナミクスの勉強会の話/他人との線引きの話

立て続けだけれど、いい体験だったので記憶が新しいうちに書いておきます。

日曜日はバイオダイナミクスの勉強会でした。

毎回、主催してくださる先輩先生方に感謝です。

解剖学講座で学んでいることに関連付けてその日のテーマを選んでくださるので、助かります。

今回のテーマの1つは「腸管膜の動きを見る」ということでした。

解剖学講座のミニ実習と違うのは、施術を始める時点の術者の視点。

講座内では体と同時並行で「美しいもの」を見て行こう・・ということだったのですが、勉強会では「腸管膜」を見る。

でも、腸管膜の動きを見ているうちに「?」ということがあり、そういうときは肉体だけでなくて、もう少し違うところを(結局、やっぱり)観る必要がある・・・全体を見る必要があるというところに行きつきました。

(じゃぁやっぱり最初から全体を見ていていいってことなのだろうか・・・)

比較的日数が開かないで、2つの違う視点から施術をして、その違いを体験できたのが良かったです。

その日は面白いことがありました。

他人との線引きの話。

私は子供のころ

「人は人、自分は自分」

と頻繁に母に言われて育ちました。

それでなのか、無意識にも意識的にも、自分と他人との線引きは常にしているのだなぁ・・。

だから、あまり他の人の影響は受けない。受けているときも、「受けている」とわかっている状態で行動するし、「受けている」ことが自分にとってプラスになるかマイナスになるか精査はしています。

もう1つ。

吹奏楽部にいたとき、

「(学校から借りているものであっても)自分の使っている楽器は他の人に触らせるな」

と先生が話されていたのをよく覚えています。

そのこともあってか、大人になっても、他人の物はあまりむやみに触らないようにしています(当たり前か?!)。

モノはそれを所有している人の延長線、影響下にあるもの。

断りなく他人の所有しているものに触れると、それは、その人の中に侵襲することなんじゃないかなぁとすら思っています。

「誰かの影響を受ける」

これは、影響を与える側の問題というより、影響を受ける方が上手く線引きできていないことが問題なんだろうなぁと・・。

なんとなく思ってしまいました。

「ハートとハートをつなげる」ということと、「他人と線引きしない」ということは、また別のレイヤーの話かなぁ。

「侵襲することになる」だからこそ、「ハートをつなげる」作業をする必要があるのだろうし、「線引き」があるからこそ、「ハートをつなげる」作業が必要なんだろうなぁ。

日本人は「線引き」が曖昧なことが多いもんなぁ。

解剖学講座2月・Backyardでしたいこと

2月の解剖学のミニ実習は胸郭呼吸&肝臓の動きを見るというものでした。

呼吸の動きだけでなく、体の中のいろいろなものが、それぞれ固有の動きを持っていて、身体からはいろいろな動きが出てくるのだけれど、その奥にある、何か静かな呼吸も一緒に見る。

体の動きの奥にある、その人のきれいなものを見る。

その方の全体性を見るうちに、肉体の動きも整ってくる。

ということをしました。

☆☆☆

「記憶を使わない」

「同じ風景でも、いつも(必ずしも)『美しい』と感じないことがある。そういう記憶は無くす」

その時、その瞬間で「美しい」ものとシンクロする。

という先生の言葉が印象的でした。

詳細は省きますが、幸い、相モデルになってくれたクラスメートの

「美しい☆」

ものを見せていただき、その静けさとその人の肉体の動きを同調させていく・・

(というより、同調するのを待つ感じ)

を体験できました。いい体験でした。

☆☆☆

その人の持つ、奥まったところにある、きれいなものを見つける
(というか、待っていて見せていただく・・・という感じかも)

これが私が『Backyard』でやりたいこと。
バイオダイナミクスオステオパシーの講座を受講することにしたのも、もう少しこれを深めたい・・広く取り組みたいという理由もありました。

☆☆☆

このサイトのタイトルにもなっている『Backyard (裏庭)』

これは、梨木香歩さんの小説『裏庭』から拝借したものです。

裏庭(言葉にはされていないけれど、「魂の世界」「集合的無意識」なのだろうな)は美しく、でも、そこに入れるのは素直な心を持っている人だけ。

裏庭の庭師は代々体の弱い人。その人が裏庭の奇想天外なストーリーを作っていく。

生き生きとした「無意識」の裏庭→「意識」の世界の充実に繋がる。

これは「庭師」個人だけでなくて、その人の周囲や、世界全体ひっくるめての安心感だったり、平和だったり、「素直に生きる」ことだったりに、集合的無意識からアプローチしていくということ。

取り組む世界が広ければ広いほど、庭師のエネルギーは裏庭で費やされる。

そのうちその人は裏庭にずっと入りびたりになり、現実に戻ってこなくなる。そして永遠に戻ってこなくなる→死。

でも、「裏庭」は新たな庭師を必要としていた。今度は裏庭で死なないで、きちんと現実世界に戻ることができる、裏庭と現実を結ぶ素直な元気な子。

そんな感じの話です。

☆☆☆

その人の奥まったところ「裏庭」にある、きれいなものを見せていただく。

「庭師」だけでなく、どんな人でも「裏庭」を見てみないといけないことがあると思っています。たくさんの人が裏庭に入れば、その分、裏庭が活性化して、「意識」の世界も充実する。

でも「裏庭」に入る前には、素直になる必要がある。

誰でも美しいものを持っていて、それを見つける、見守る。

それが「肉体」「現実」の自分との調整もする。

そんなお手伝いがしたいです。

(肩こりも腰の違和感も調整もなんだけれど・・・)

今読んでいる本。

カール・ケーニヒの『発生学と世界の発生』

研究とそれに付随するものすごいイマジネーションに、読んでいて圧倒されます。
面白いです。