阿字観・オステオパシーの勉強会・フォーカシングの勉強会

週末は 阿字観とオステオパシーの勉強会とフォーカシングの勉強会に行っていました。

阿字観の後、サクサク地下鉄に飛び乗ったつもりだったのですが、お昼を食べる余裕がなく、結局、川崎大師の門前の久寿餅を。

ツユダクならぬ「きな粉&蜜ダク」。あっさりしているけれど、結構お腹にたまります。(≧∇≦)

勉強会は、大先輩の話といい、クラスメートの話といい、ずっと聴いていたい話ばかりだったのだけど、帰宅。

個々の知覚はいろいろで、自分の体験を否定されることなく、シェアできる場があるのは嬉しいです。

翌日はフォーカシング@桜新町。

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オステオパシーの勉強に集中することにしたので、しばらくの間、フォーカシングの勉強会はお休みすることにしました。

フォーカシングの勉強会では、勉強会仲間から

「週2回、仕事が遅番のシフトで、帰りが遅く、夜、ピリピリして眠れない。睡眠時間が上手く取れない」

という話を聴き、私が同じような状態になったときによくする、すんなり入眠できる方法を、プチレクチャーさせていただき帰ってきました。

ちょっとでも眠りやすくなるといいのですけど。

これから暑くなるからなー。

「すんなり入眠できる方法」は合う、合わないはあるとは思いますが、誰でもできる方法なので、気になる方はお会いできたときに気軽に質問してくださいマセ。

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二日間、無色透明な時間をずっと過ごしていたからか、日曜の夜の帰り道、茶トラの成野良猫に
「エサちょうだいにゃー」

と道を塞がれ、脚にスリスリされ、せがまれてしまいました。

二日間の勉強会で、日常のトゲトゲがすっかり抜けきって安パイに思われたんでしょうか。

「エサ?持ってないよ!」
「ついてきても、うち、お母さんが怖いから家に入れないと思うよ!」

と言ったのですが、尻尾をピンと立てて嬉しそうに家までついてきて、やっぱり母に最後に
「しっ、しっ!」
と追い払われてしまいました。

奈「ついてこないでよー!って言ったんだけどついてくるんだよー」

母「怒らないからついて来るのよー!」

奈「何にも悪いことしてないのに怒るとかわいそうなんだけど、、、」

父「だから、そこで『かわいそう』とかいってエサをやっちゃうとダメなんだよ」

という、とりとめもない3日間の休みでした。

今日(昨日)の夕方、ニャンコは向かいのお家の庭にいたのだけど。今はどこにいるのやら。

あれだけ愛想が良いのだから、あちこちでエサをもらっていそうです。

「わたくしといふ現象」・・・・宮沢賢治と瞑想とかプレゼンスとか

『春と修羅』の序文のこと

私は薄暗い部屋で瞑想をするときやボディワークの施術を受ける時、「青紫の淡い光」を頭の中に見ることがあります。
(光の色は白いときもあり青白いときもあり・・・。こういう方は結構多いのではないかなと思います)

そのときは頭には光以外に何も浮かんではこないのですが、終わった後にはたいてい、宮沢賢治の『春と修羅』の序文が思い浮かびます。

宮沢賢治も「プレゼンス」に長い時間居ることができた人ではないかと思っています。

宮沢賢治→ (wikipediaに飛びます)

 

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宮沢賢治は仏教に傾倒しその関係の修行も行い、神秘体験をしたこともあります。菜食主義であったこと、妹の死により心が混乱し心の病気を患っていた時期もあるとのこと。

宮沢賢治が書く文章について

「普通の人が目に見えないものも見えていたのではないか」
「書かれているものは、想像の産物ではなく、彼の目には見えていたものだ」

と考える人、研究をされている方々がたくさんいます。

私もここ20年ほどずっとそう思っていたのですが、自分で「そうだな」と確信できたのがここ数年くらいの間です。

今よりも理解が少ない時代に、「心象スケッチ」として精神世界のことについて書き残した彼の志や、言葉で表現できた文才を、改めて「すごいな・・・」と思います。

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 (写真は複製。学生時代に古書店で格安で手に入れたもの。装丁がとてもこっている。表紙は布でタンポポ柄です。賢治のこだわりを感じます)

『春と修羅』の「序」は、心象世界の奥深く、そして自分の世界が周りの人、世界と繋がっているということ、もっと大きな世界の中にいることが書かれています。

「あ~これはもうそのまま、スピリチュアルな世界だ」

という感じです。

仏教思想の影響を受けているのは明らかですし、瞑想中や1人で静かに過ごしているとき、野山で採集活動をしていたときなどに持ったフェルトセンスや、そのときそのときのことをプレゼンスの状態で見て、繊細に感じとったことのように思います。

自分は「わたくし」ではなくて、「わたくしという現象」と表現しています。「わたくしという現象」が地上に起こっているだけ。ただそれだけ。

「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
「因果交流電燈のひとつの青い照明」

自分が青い光となる、そんな時間を賢治も持ったのだなぁと思います。

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「序」は読んでいるといつもなんだか涙が出てきます。悲しい涙ではなくて、ほっとする涙。何か大きなものの中に戻っていく心地よさです。

『春と修羅』は青空文庫にも収録されているので、長めに引用させていただいてもいいかな・・・と思いました。 差しさわりがありましたら削除します。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日

 

プレゼンスの練習 その2 フォーカシング

先日から書いている『プレゼンス』について、大事なことを忘れていました。

ストレスケアセラピストのなつこです。

『フォーカシング』

をすることがプレゼンスの練習になります。

「神様とか仏さまとか、いると思ってな~い」という人には良いのではないかと思います。

プレゼンスの練習・・・というか、プレゼンスの状態に入ってからフォーカシングをしていくので、フォーカシングの練習をしているうちに「プレゼンス」が習慣になるという感じです。

フォーカシング (wikipedia にとびます)

以下はユージーン・ジェンドリンからフォーカシングを学んだ、アン・ワイザー・コーネルさんの本からの引用です。(引用長すぎちゃったかも。問題があったら削除いたしますのでご連絡ください。申し訳ありません)

私が変な文章を考えるよりいいかなぁと思いました・・・。私にとっては、アンさんのこれが「そう、フォーカシングってそうだよね!」という感じです。

「自分のからだで感じていることに耳を傾ける」

・・・これは、前に書いた、「日常の動作に気を配る」ことと同意になるかもしれません。
「クライエントがからだで感じていることを言葉で表現するのには時間がかかる→それを『待つ』『引き出す』トレーニングになる」ということからでしょうか。

ソマティクス指向のボディワークの先生方からは受講されるとフォーカシングの話が(たぶん)何度か出てくると思います。

『やさしいフォーカシング 自分でできるこころの処方』 発行 コスモス・ライブラリー、発売 星雲社 より

p12-

シカゴ大学のユージン・ジェンドリン教授は、「なぜ、心理療法で効果がある人と効果のない人がいるのか」という疑問から、実証的研究を始めました。かれと同僚の研究者たちは、何百という心理治療場面の録音テープを検討しました。

・・・確かに、成功した治療では、セラピストはより共感的で、より率直で、より受容的で、より鋭いようなのですが・・・しかし、実際には、セラピストの行為からは何ら有意な差は見られませんでした。どのテープでも、セラピストたちはおおむね似たようなものなのです。

P13

・・・・次に研究者たちは、テープのクライエントの部分を聴いていきました。そこのところで、なんとも魅力的な、とても重要な発見をしたのです。治療が成功だったクライエントと失敗だったクライエントには違いがあったのです。

 

p10-12, フォーカシングとは、からだを使って、自己の気づきを促し、こころを癒していく、独特のプロセスです。それはひどく単純なことです。あなたがどんなふうに感じているかに注意を向けて、その感じと会話をするのです。その会話では、あなたはほとんど聴き役にまわります。フォーカシングは、生活の中で起こっている事柄について、からだの内側で何かを感じるという、おなじみの経験から始めます。立ち上がって話し始める時、胃のあたりがざわざわする感じとか、大切な電話をかけようとすると胸がきゅーっと締めつけられる感じなど、私たちが「フェルトセンス(感じられた意味感覚)」と呼んでいるものを、-何らかの意味をもっている身体感覚のことですがーあなたはすでに経験しているわけです。

それでは、胃がざわざわする感じとか、胸がきゅーっとしめつけられる感じとか、喉が詰まった感じがする時、あなただったらどうしますか。私たち皆と同じようだったら、それをなくそうとするのでしょうね。「どうして一番大事な時に限ってこんなばかにみたいな感じになるの」といった憎まれ口をたたいたり、「私がもっとできた人間だったら、こんなふうに上がったりしないのに」と自分をけなしたり、あるいは、深呼吸を繰り返すとか、一杯飲むとか、たばこを一服吸うかもしれませんね。

もし、あなたがフォーカシングを知らなかったら、そこにある感じに耳を傾けるとか、その感じがあなたに話しかけるようにしむけるというようなことはしないわけです。

でも、あなたが感じているその感じのほうからはなしかけてもらうことができたとしましょう。そうなれば、深い深い部分、豊かに満ちている部分が開かれて、あなた自身がさらに深く豊かに変わっていくことになるでしょう。こころもからだも全部ひっくるめた自分全体の感じ、自分という全存在に備わっている深く豊かな部分が開かれるということです。そして、さらに、その感じに耳を傾けるならば、それは楽な感じにほぐれてきて、あなたがしていることをもっとはっきりさせて、迷わずまっすぐ進めるようにしてくれます。生活のこの深いところであなたを驚かせたり喜ばせたりしながら、もっともっと前向きに進むようにしてくれると思います。

フォーカシングは、このように、やさしく思いやりを込めて、こころから受けとめてあげる姿勢でからだに耳を傾け、内なる自己があなたに伝えるメッセージを聴いていく独特のプロセスです。からだの内側に貯えられている知恵に敬意を払い、からだを通してあなたに語りかけてくる微妙なレベルの気づきを知るようになるプロセスです。

からだに耳を傾けることで、洞察、身体のほぐれ、生活の前向きの変化が得られます。あなたは自分のことをもっとよくわかるようになり、もっと快適になり、そして、生活をもっと自分が望むように創造していくよう行動するようになると思います。

上記の

フォーカシングは、このように、やさしく思いやりを込めて、こころから受けとめてあげる姿勢でからだに耳を傾け、内なる自己があなたに伝えるメッセージを聴いていく独特のプロセスです。

「からだに耳を傾けていくとき」

これがプレゼンスが少しずつ深まっていくときです。深まりの差は時と場合によりますが、慣れれば電車に座っていても、立っていても、「ひとりフォーカシング」はできます。

何か月か前に書いた記事のリンクを貼っておきます。とりあえず1人で練習を試してみる時に、参考になるかなと思います。

フォーカシングのステップ0.5 『好きな人・嫌いな人』・・ココロの様子をカラダで感じる練習

フォーカシングのステップ1 『クリアリング ア スペース』

1人で試してみて、「こんなので大丈夫なのかなぁ?」と思ったら、フォーカシングの講座が開催されているところがありますので、そちらにぜひ行ってみてください。

でも、講座に参加してるうちにわかってくるのですが、みんなそれぞれ「フォーカシング」は違っています。「これが正式なフォーカシング」というフォーカシングはありません。
トレーナーの先生方もそれぞれ独特のフォーカシングをされます。

なので、1人でやっていても全然問題はないみたいな気もします。

私も、学生時代に本を読んで自分で勝手にしていて、正式に講座を受講したのは数年前でした。

東京、大阪が多いかもしれませんが・・・。

地方にもいくつかフォーカシングをお互いにする、『フォーカシングコミュニティ』ができていると聞いています。参加も無料~場所代(1回500円、1000円)程度なので、行ってみられるのも良いかと思います。

 

フォーカシングのリスナー・・・・傾聴、共感のトレーニング

年内最後のフォーカシングの勉強会でした

「ひとり振り返り」をしたいところだったのですが、お尻に根が生えそうなので、車中エキカフェ。

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ここのところインタラクティブフォーカシングの練習をすることが多くて、いつものフォーカシングをしていなかったかも・・・。

「久しぶりにフォーカシングしたなぁ」という感じがしています。

リスナーからの提案

フォーカシングでリスナーになるとき。これはカウンセリングテクニックの勉強というよりは、そのもっとベースの部分である傾聴、共感のトレーニングになります。

「傾聴、共感」は「自分(リスナー)の今の状態、感じていること考えていること」などを少し横に置いておいて、フォーカサーの感じていることに寄り添います。

そして、フォーカサーのフォーカシングプロセス(経過)が止まってしまったとき、リスナーはそのプロセスがもう一度動き出すよう、何か提案することがあります。

フォーカシングには「フォーカサーはその提案を断ってもよい」というルールもあります。それが前提でフォーカシングは行われています。

ですので安心して提案できます。提案がその人のその時の『感じ』にフィットしなければ断ってもらえますし、リスナーからの一方的なアドバイスにならないのがいいところです。

フォーカサー側からすると、「断りたいけど断れない」ということも起こりません。

とくに調査結果があるわけでもなく、経験則なのですが、その提案が採用されたとしても、不採用だったとしても、「何か提案する」ということ自体がフォーカサーが次のプロセスに進むことを促せることが多いです。

自分の感じた提案について「(フォーカサーが)どう感じたか」というフィードバックをもらえることにもなるし、そのとき、その場でどのくらいフォーカサーと同じものを感じられているか、その度合いがわかるのもいいなと思っています。

23980838525_78e51cebb4_z遠慮なく断ってください

ですので、セッションでも普段の生活の中でも、もし私が何か提案したときは
「いま言われたそれ、なんとなく違う感じなんだよねー」
とか
「そうじゃなくて、私はこんな感じがしてて、こうしたい感じ」
とか、断っていただいて全然構いません。

私の提案はただのきっかけです。なんでも良いのだけど、新しい動きが出てくるきっかけを創りたいだけ。

勉強会は来年も続きます。
なんやかんやで結構続いているな。

飛行機雲を作っている飛行機。

私は何を残せるのか?
こんな感じにすーっとした軌跡を描いて、そして、すーっと何も残さず消えていきたい感じが今はしています。

フォーカシングの勉強会

金曜日の夜。
1ヶ月に1回のフォーカシングの勉強会がありました。
今回、都合で予定が変わり、1ヶ月プラス2週間開いたのですが、ものすごく久しぶりに感じました。
詳細は書かないけど、毎回得るものが多いです。
小さいけど手の中にある大事なものという感じ。

そういえば、この間、フェイジョアの実を少しいただきました。洋梨のような甘い香り。

食べるところは少ないけれど、口さみしいときに、口の中に優しい味が広がります。