「運命の人」はいるんだろうか?

先日、学生時代の女子友の結婚式の帰り道、同じく男子友から、

「運命の人っているんだろうか?」

「赤い人が繋がっている人っているんだろうか?」

と聞かれました。

(男子でも、こんな年齢になっても、そう思う時があるのか~?!)

(いや、「男子」ではなくて、「男性」→「おじさん」なんだけど・・・)

 

「うーん。『運命の人』はいる。けれど、ほとんどの人は『運命の人』と勘違いして『修行相手』を選んでるんじゃないかと思う。でもまぁ、『修行』の運命共同体の仲間としては『運命の人』と言えるとは思うけど」

という返事をしつつ・・・。

いろいろ話すとお説教臭くなるので、これ以上は話さないで帰ってきました。

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今日は、その続きの話。

ふっと降って来た言葉があったので、残しておこうと思います。

いろいろな修行をして、ある程度自分が磨けたときに会えた人は

『運命の人』

自分自身に素直になったときに出会えた人は

『運命の人』。

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10代~40代にかけて、勉強、仕事、恋愛、その他いろいろな体験をしてきて、自分の中のイヤなところも見つめて、いろーんなことを考えて、またまた体験して、やっとこさ会えた人は『運命の人』。

でも、自分自身を何も見つめなくて、起きてくるたくさんのことを、周囲や相手のせいにばかりして、なんとなく恋愛を繰り返している人は、やっぱりただの

『修行』
の繰り返し。

それに気がつかないと、この世にいる時間もずーっと、身体がこの世のものでなくなっても、次の世でも、ずーっと同じことを繰り返すのだろうな。

「結果論だろ~」

という意見の友人もいたのだけれど、

そういうキミこそ、『運命の人』をきちんと選んでいると思うのよね~。

自分自身に素直でいるときに出会えている人は、『運命の人』なのよ。

バイオダイナミクスの勉強会の話/他人との線引きの話

立て続けだけれど、いい体験だったので記憶が新しいうちに書いておきます。

日曜日はバイオダイナミクスの勉強会でした。

毎回、主催してくださる先輩先生方に感謝です。

解剖学講座で学んでいることに関連付けてその日のテーマを選んでくださるので、助かります。

今回のテーマの1つは「腸管膜の動きを見る」ということでした。

解剖学講座のミニ実習と違うのは、施術を始める時点の術者の視点。

講座内では体と同時並行で「美しいもの」を見て行こう・・ということだったのですが、勉強会では「腸管膜」を見る。

でも、腸管膜の動きを見ているうちに「?」ということがあり、そういうときは肉体だけでなくて、もう少し違うところを(結局、やっぱり)観る必要がある・・・全体を見る必要があるというところに行きつきました。

(じゃぁやっぱり最初から全体を見ていていいってことなのだろうか・・・)

比較的日数が開かないで、2つの違う視点から施術をして、その違いを体験できたのが良かったです。

その日は面白いことがありました。

他人との線引きの話。

私は子供のころ

「人は人、自分は自分」

と頻繁に母に言われて育ちました。

それでなのか、無意識にも意識的にも、自分と他人との線引きは常にしているのだなぁ・・。

だから、あまり他の人の影響は受けない。受けているときも、「受けている」とわかっている状態で行動するし、「受けている」ことが自分にとってプラスになるかマイナスになるか精査はしています。

もう1つ。

吹奏楽部にいたとき、

「(学校から借りているものであっても)自分の使っている楽器は他の人に触らせるな」

と先生が話されていたのをよく覚えています。

そのこともあってか、大人になっても、他人の物はあまりむやみに触らないようにしています(当たり前か?!)。

モノはそれを所有している人の延長線、影響下にあるもの。

断りなく他人の所有しているものに触れると、それは、その人の中に侵襲することなんじゃないかなぁとすら思っています。

「誰かの影響を受ける」

これは、影響を与える側の問題というより、影響を受ける方が上手く線引きできていないことが問題なんだろうなぁと・・。

なんとなく思ってしまいました。

「ハートとハートをつなげる」ということと、「他人と線引きしない」ということは、また別のレイヤーの話かなぁ。

「侵襲することになる」だからこそ、「ハートをつなげる」作業をする必要があるのだろうし、「線引き」があるからこそ、「ハートをつなげる」作業が必要なんだろうなぁ。

日本人は「線引き」が曖昧なことが多いもんなぁ。

解剖学講座2月・Backyardでしたいこと

2月の解剖学のミニ実習は胸郭呼吸&肝臓の動きを見るというものでした。

呼吸の動きだけでなく、体の中のいろいろなものが、それぞれ固有の動きを持っていて、身体からはいろいろな動きが出てくるのだけれど、その奥にある、何か静かな呼吸も一緒に見る。

体の動きの奥にある、その人のきれいなものを見る。

その方の全体性を見るうちに、肉体の動きも整ってくる。

ということをしました。

☆☆☆

「記憶を使わない」

「同じ風景でも、いつも(必ずしも)『美しい』と感じないことがある。そういう記憶は無くす」

その時、その瞬間で「美しい」ものとシンクロする。

という先生の言葉が印象的でした。

詳細は省きますが、幸い、相モデルになってくれたクラスメートの

「美しい☆」

ものを見せていただき、その静けさとその人の肉体の動きを同調させていく・・

(というより、同調するのを待つ感じ)

を体験できました。いい体験でした。

☆☆☆

その人の持つ、奥まったところにある、きれいなものを見つける
(というか、待っていて見せていただく・・・という感じかも)

これが私が『Backyard』でやりたいこと。
バイオダイナミクスオステオパシーの講座を受講することにしたのも、もう少しこれを深めたい・・広く取り組みたいという理由もありました。

☆☆☆

このサイトのタイトルにもなっている『Backyard (裏庭)』

これは、梨木香歩さんの小説『裏庭』から拝借したものです。

裏庭(言葉にはされていないけれど、「魂の世界」「集合的無意識」なのだろうな)は美しく、でも、そこに入れるのは素直な心を持っている人だけ。

裏庭の庭師は代々体の弱い人。その人が裏庭の奇想天外なストーリーを作っていく。

生き生きとした「無意識」の裏庭→「意識」の世界の充実に繋がる。

これは「庭師」個人だけでなくて、その人の周囲や、世界全体ひっくるめての安心感だったり、平和だったり、「素直に生きる」ことだったりに、集合的無意識からアプローチしていくということ。

取り組む世界が広ければ広いほど、庭師のエネルギーは裏庭で費やされる。

そのうちその人は裏庭にずっと入りびたりになり、現実に戻ってこなくなる。そして永遠に戻ってこなくなる→死。

でも、「裏庭」は新たな庭師を必要としていた。今度は裏庭で死なないで、きちんと現実世界に戻ることができる、裏庭と現実を結ぶ素直な元気な子。

そんな感じの話です。

☆☆☆

その人の奥まったところ「裏庭」にある、きれいなものを見せていただく。

「庭師」だけでなく、どんな人でも「裏庭」を見てみないといけないことがあると思っています。たくさんの人が裏庭に入れば、その分、裏庭が活性化して、「意識」の世界も充実する。

でも「裏庭」に入る前には、素直になる必要がある。

誰でも美しいものを持っていて、それを見つける、見守る。

それが「肉体」「現実」の自分との調整もする。

そんなお手伝いがしたいです。

(肩こりも腰の違和感も調整もなんだけれど・・・)

今読んでいる本。

カール・ケーニヒの『発生学と世界の発生』

研究とそれに付随するものすごいイマジネーションに、読んでいて圧倒されます。
面白いです。

私のエゴ@ACIM勉強会(覚え)

日曜日。午前中は月1の『ACIM a course in miracles』の勉強会の日でした。

ここ1か月、勉強会のお仲間は、選挙終了後~大騒ぎになっている某国の大統領のお話や、あちこちで続くテロの話、マスコミで伝えられていないあれこれのこと、その他もろもろのことを、自分で調べていたそうです。

その話から、

「いやぁ『救済』ってなんだろうねぇ。待ってられないよね・・・」

という話になりました。

世界のあちこちに「生きるか死ぬか」の境目に居る人たちがたくさんいて、

そんな人たちに、

「『赦し』とか『救済』とか、言ってもねぇ・・・(無力)」

と・・・ざっくり、そんな感じのお話をしていました。

『沈黙(遠藤周作)』のテーマは、「なぜ神が人間の内面的不正について黙っているのか」なのだけれど、結局、それと似たような話になってしまいました。

★★★

この世界の中で、何かに気がついた人たちは、こちら側に進んでくるし、何にも気がつかない人もいる・・・・ように一見、見える。

「気がついた人と何にも気がつかない人とのギャップを埋めるにはどうしたらいいんだろう・・・救済ってギャップを埋めること?」

きっとそのヒントはACIMのどこかに書かれているはずなのだけれど・・・。

ということで、それを探すために本をもう1度読み直すのが来月までの宿題になりました。

★★★

昨日、今日、ch.31を読み直していたのだけれど・・・。

「これ、私のエゴになっちゃうんだよな~」

「ギャップ」がそもそも存在しないんだよな~。みんな同じ場所にいる。そして同じように進んでいる。

ただ、それだけのことなのよね。

救済はシンプル。謙虚であれ。静けさの中で。

その中で進む「赦し」「癒し」「救済」を待つしかないのかな、やっぱり・・・。

時が来れば、さくさくと進むこともあれば、ゆーっくり進むこともあるってことなのかなぁ?

「自分のエゴがない状態であれば、変化はスムーズに進むし、そうでないとき、変化は起こらない」
ということは日常生活の中でよく思うのだけれど。やはりそれを待つしかないのか?
もう少し読んでみよう。
★★★★★

午後はセッション。

ここしらばらくお忙しかったようなのだけれど、セッションを上手く気分転換に使っていただけたようで良かったです。

さてさて、、今週は解剖学の宿題をしなくては・・・。^^;

3/28 アロマハンドセラピストコースの講師をします

3/28(火)に国分寺のクイーンメリーアロマテラピースクールさまで、アロマハンドセラピストコースの講師をします。

↓コースの詳細はこちらをどうぞ。
http://www.queenmaryoil.com/hand-therapist.html

手と前腕・・・体の1部分だけのトリートメントの勉強なのですが、足、脚になど体の他の部分にも応用ができます。

自分の周りの人、ご家族、お友達に「何かしてあげたいな~」と思っている方には、ちょうどいいのではないかな。

もちろんセルフケアにも使えます。